誰よりも遠くへ

川の流れに逆らって

文章で性格がわかる人に見られたくない文章を書いている

昔仲良くさせてもらっていたひとが、こんなことを言っていた。

「私ね、その人の文章を読めば、どんな性格をしているのかが分かるの」

そういうひとって、意外とこの世の中にはたくさんいるんだと思う。僕だって、その人の眼を見れば、性格がわかったような気になることがある。だからこそ僕は、本当に好きな人の眼しか見ることが出来ない。いつからだろう、忘れてしまった。

話を戻そう。

僕は、僕の文章からにじみ出ている救いのない弱さ、性格のわるさに、とっくに気がついている。このブログを読む人が、文章から性格を見抜く能力者ではないことを願う。同時に僕は、自分自身が、なにかの能力者であることを願う。彼女だってそうだったはずだ。だから、こんな心配はただの杞憂なのだ。きっとそうだ。また性格の悪い文章を、僕は書いている。ひたすら自分の内側に向かっていく文章を、僕は書き続けている。孤独だ。

 

機会があって、魯迅の『狂人日記』を読み返している。こういう文章を僕の手で書くことが出来たなら、僕の人生は価値のあるものになるだろう。売れるか売れないか、万人に受け入れてもらえるかなんて、ほんとうに、どうでもいい。いつか、書いてみたい。