誰よりも遠くへ

川の流れに逆らって

ハルカミライが好きで好きでたまらない

ハルカミライの『PEAK’D YELLOW』を聴いている。僕はハルカミライのことを21世紀最高のロックバンドだと勝手に思っているんだけど、中でもこの曲は特に好きだ。毎日聴いてしまう。201912月の幕張ワンマンでもこの曲を聴いた。皆で歌った。ハルカミライのボーカル橋本学は、「ボーカル、俺とお前ら!」なんてMCでライブを始める青臭い人間なので、皆とにかく歌う。一生懸命歌う。あの空間にロックスターは一人だっていやしない。皆少年少女みたいな顔つきになって、放課後みたいな気分で、初夏みたいな情熱で、とにかく歌う。いやほんとに。ほんとだよ。

 

ハルカミライの話になると、僕は語彙力も表現力も羞恥心もすべて捨ててしまって、ひたすらガキみたいな感想を吐いてしまう。ある意味、わからないバンドだ。いちばん大好きなバンドについて表現する言葉を、僕はずっと探していた。分からなかった。昨日、4ヶ月ぶりに親友に会って、酒も飲まずにバカみたいにラーメンをすすって、終電に乗って帰る途中に『PEAK’D YELLOW』を聴いて、ようやくこのバンドを表現するひとつの言葉に辿り着いた。

 

「僕たちに、歩き方を教えてくれるバンド」だ。結局青臭い表現にはなってしまうけど、僕はこの新しい言葉をすごく気に入っている。この捉え方を僕はほかのファンに押し付けるつもりはないし、心のどこかで「そもそもこいつらを言葉で表現してしまっていいのだろうか?」なんて葛藤もある。それでも今の僕にとってこのバンドは、「歩き方を教えてくれるバンド」なのだ。変哲のない平凡な人生のなかでも僕たちは、当たり前のように現実に苦しんで、もがく。この世は地獄だ、なんて考えてしまう日は誰にだってある。当たり前のように地獄は僕たちに共有されていて、だからといってひとつひとつが大したことない、なんてことは決してない。そんな現実のなかで、僕たちはどうしても歩き方を失ってしまう。そんなときに、このバンドの曲をイヤホンで聴いてみる。『PEAK’D YELLOW』の「へいへいほー!」のリズムで、真夜中の駅前を歩いてみる。僕たちは自分たちの歩幅を、鼓動を、そして歩き方を思い出す。そうやってなんとか歩いていくうちに、僕たちは何者かになれるかもしれない。そしたらきっと、平凡で、ありきたりなそれぞれの地獄が、どこかで意味を持つのかもしれない。「生きててよかった」なんて思うのかもしれない。こんな僕たちにハルカミライは、くらやみの世の中でも常に、歩き方を教えてくれる。だからこそ僕は、ハルカミライが大好きなのだ。実は単純な理由なのかもしれないけど、僕はこの理由にたどり着くまでにものすごく時間がかかったし、今ここで言葉にできたことが、ものすごく嬉しいのだ。

 

今更こんな駄文を並べたところで、「なんだこの恥ずかしい文章は」なんて誰かが笑うかもしれない。未来の自分がこの文章を読んでドン引きするかもしれない。それでもどこかで「分かるよお前、このバンドがとにかく好きなんだな、一生懸命好きなんだな」って思ってくれるやつがいるといいよな、なんて思いながら僕はここに文章を残しておく。この文章はある意味、僕にとっては大事な、消えない傷なのかもしれない。


ハルカミライ-PEAK'D YELLOW(Official Music Video)

文章で性格がわかる人に見られたくない文章を書いている

昔仲良くさせてもらっていたひとが、こんなことを言っていた。

「私ね、その人の文章を読めば、どんな性格をしているのかが分かるの」

そういうひとって、意外とこの世の中にはたくさんいるんだと思う。僕だって、その人の眼を見れば、性格がわかったような気になることがある。だからこそ僕は、本当に好きな人の眼しか見ることが出来ない。いつからだろう、忘れてしまった。

話を戻そう。

僕は、僕の文章からにじみ出ている救いのない弱さ、性格のわるさに、とっくに気がついている。このブログを読む人が、文章から性格を見抜く能力者ではないことを願う。同時に僕は、自分自身が、なにかの能力者であることを願う。彼女だってそうだったはずだ。だから、こんな心配はただの杞憂なのだ。きっとそうだ。また性格の悪い文章を、僕は書いている。ひたすら自分の内側に向かっていく文章を、僕は書き続けている。孤独だ。

 

機会があって、魯迅の『狂人日記』を読み返している。こういう文章を僕の手で書くことが出来たなら、僕の人生は価値のあるものになるだろう。売れるか売れないか、万人に受け入れてもらえるかなんて、ほんとうに、どうでもいい。いつか、書いてみたい。

 

 

 

【小説】危機の時代が去って

 危機の時代が去って、言葉には上手いも下手もない、ということにようやく気がついた。野外フェスのど真ん中で、ロックスターがわけのわからない言葉を叫んでいた。曲が始まって、本物の感情みたいなものを目指して、観衆がもみくちゃになっているのを、僕は高い塔の上から眺めていた。新しい日々が始まったみたいに、雑なイントロを聴いていた。僕の足元で、女が地べたに座り込んでいた。女は缶ビールを片手に下界を見つめていた。唇は黒く、大きな鼻をしていた。顔は覚えていない。青のカーディガン、青と花柄のブラウスを着て、デニムパンツと青い革のブーツを履いていた。どうやら僕の知り合いのようだ。

「ビール、美味しい?」

声をかけると、女はぐっとビールを飲み干して、

「うん。でもブルーベリーでいいや」

と呟いた。足元に散らばっていた金属の皿の上に空き缶を置いて、女は塔の階段を下りていった。僕は追いかけることになった。

「僕は黄色い菖蒲の花が好きだよ」

女の背中を追いかけながら、僕は呟く。花柄のブラウスのことを考えていたのかもしれない。

「だろうね」

女は冷たく応えた。塔の下には街が広がっていた。夜風が二人の間を突き抜けていくのを、僕は不安に感じた。夜明けは近いのかもしれない。僕たちの世界に、時計はなかった。

 女は路地裏の方へ歩いていった。この街に猫はいない、僕はなんとなく確信していた。猫どころか人間も見当たらない路地裏で、いつしか僕は女のことも見失っていた。構わず道の向こうへ進んでいった。小さなアトリエに辿り着いた。壁紙が夜の青と同じ色をしていたので、僕はそこが屋内であることに気がつかなかったのだ。一枚の油絵が隅に飾ってあった。夜の青を背景に、赤、黄色、緑の小さな花がいくつも描かれていた。女のブラウスの花柄が、そのまま描いてあったのだ。この夜も、路地裏のアトリエも、一枚の油絵も、そして女のブラウスも、ひとつの大きな海のように、街に沈んでいるような気がした。僕はそのとき、女を見失ったのではなく、僕自身があの女になったことに気がついた。あの女は僕であり、僕はあの女であった。僕は安堵した。

「待て」

 男の声が聞こえた。色白の、影の薄い男が立っていた。僕の身体はふたたび輪郭を取り戻した。恐ろしい気持ちになった。僕は迷わず男を突き飛ばし、アトリエを抜け出した。自分の足音がしないことに、すぐに気がついた。夜明けは近いのだ。すぐに男が追いついたので、僕は逃げるのをやめた。

「お前、大丈夫か」

男の細い目には、哀れみが深く込められていた。

「大丈夫だよ、兄さん。僕はちゃんと判断している。判断しているから、この国も民主主義なんだ。そうだろう?」

僕はわけのわからぬことを言って笑った。男は、僕の兄だったのか。

「何を言っている。何を言っているんだ?お前」

 病室だった。この夜の街は、真っ白なベッドシーツに包まれた、宇宙と同じ匂いの、病室だったのだ。僕は笑ってみた。兄は、絶対に笑わない。言葉には、上手いも下手もないのだ。

コロナ危機(第一波?)を振り返って

 

 

はじめに

 

珍しくタイトルを最初に決めて記事を書いている。首都圏と北海道を除く地域で緊急事態宣言が解除され、東京都の感染者も一桁台に突入している。今や神奈川県の方が感染者が多い。主に院内感染だから地域性あんま関係ないって話も聞くけど。

僕は緊急事態宣言の発令された4月7日から1ヶ月半、不要不急の外出を控え、自室に引きこもって過ごしてきた。散歩にもほとんどいかなかったし、コンビニも数えるほどしか行ってない。必要なものはパート帰りの母親に買ってきてもらっていた。4月23日からはオンライン授業がスタートし、今日でちょうど一ヶ月が経つ。最後に大学に行ってから4ヶ月が経ち、気づけば冬は終わり、春も去ろうとしている。

20歳の春を、ひたすら外出を自粛し、実家に逼塞し、バイトもせず、彼女にもほとんど会わずに過ごした。「非日常がない」という日々が、何よりも非日常的であること。これは自明だ。僕はこの非日常をいかに過ごしたのか、ここにまとめておくことは、僕にとって価値のある行動だと考える。

いくつか項目に分けてみようと思う。政治の話は今日はやめておく。あくまで生活面にフォーカスを当てて、自分の体験、感じたことを書いてみようと思う。

大学のこと

僕は中央大学政治学を専攻している。うちの大学はコロナ流行によって春休みを2週間延長し、4月23日からオンラインという形で授業を開始した。当初はGW明けまでの実施だったが、一度5月下旬まで再開が延期され、その後春学期オンライン授業が確定した。キャンパス閉鎖の影響や学習環境整備の必要性が考慮された結果、全学生に5万円が一律給付されることも決定した。ありがとうございます。申込みは5月末、支給は6月中旬ごろを予定しているとのこと。詳細は公式HPを見てね。

僕はオンライン授業に対してそこまで否定的ではない。今まで大学で講義を受けていても、「これ、オンラインでいいだろ……」なんて講義はいくらでもあったし。何よりも電車に乗って通学しなくて良いというメリットは大きかった。僕は大学へ通うのに片道1時間半もかかるのだ。往復で3時間である。それがオンライン授業だとゼロになるのだ。さらに、オンライン授業の中にはオンデマンド配信型、つまりいつでも視聴できる講義もある。学校再開後も、一部の一方通行型講義は継続して導入すればいいのに、とすら考えてしまう。

一方で、図書館が使えないのは非常に不便だ。僕は普段、大学に通学している時期は週に3~5冊ほど本を借りていたし、なにより勉学に励む学生が集う図書館という空間は、学習スペースとして最高の環境だった。自宅では他人の目線がない分、効率はめちゃくちゃ下がる。緊急事態宣言が解除されたら、最寄り駅のタリーズくらいは行こうかな。本に関しては電子書籍も使えるし、通販でも調達できるので、意外と困らなかった。母親が専門書の費用をかなり負担してくれたので助かった。5月中旬以降は大学図書館の郵送サービスも使えるようになったため、専門書を取り寄せることが出来るようになった。早速僕は利用したけど、送料もかからないので非常に親切なサービスだと思う。図書館はもしかしたら6月以降開館するのかな?

自粛生活のこと

僕は元来、アウトドア派だ。性格は暗いくせに、じっとしていることが出来ない。昔から暇を見つけては遠くへ行ってしまう癖がある。僕は3月上旬に、このままでは旅行のできない時代が来てしまうと思い、急遽東北への小さな旅行にでかけた。仙台や平泉のほうを見て回ったが、すでにコロナに備えて営業を自粛しているゲストハウスもあった。本来であれば彼女と3月下旬に神戸旅行に行くことも計画していたけれど、関西圏の感染拡大に伴い中止することになってしまった。それからしばらくして、本当に外出のできない日々が始まった。

うちの家は兄弟も3人いて、「家族間で壁を作らない」とやらで個人の部屋がなかった。しかし自粛生活がスタートし、オンライン授業の実施も予定されていたことから、母親は急遽兄弟それぞれの部屋を模様替えして作ってくれた。僕の部屋は、もともと僕と妹の勉強部屋だった場所に作られた。断捨離して昔のものをたくさん捨てて、妹の机を新設の妹の部屋に移して代わりに僕のベッドを置いた。急ごしらえとはいえ、人生で初めて自分の部屋が貰えたことはとても嬉しかった。実際オンライン授業が始まった後、自分だけの空間があるというメリットは非常に大きいことを実感した。

僕の家は幸い、母親の努力もあって学習環境としては恵まれていた。好きな時間に寝起きして授業を受けることが出来たし、食事も比較的自由だった。5月以降、エアコンも自室に設置されたので、至れり尽くせりといった環境で自粛生活を送った。うちの家には、2羽のかわいいセキセイインコもいるので、癒しもあった。インコを通じて、あまりそりの合わない兄妹とも話すことが出来た。

読書のこと

オンライン授業がスタートするまでの間、いくつか本を読んだ。やることがないので、一日に1冊以上読んだ日もあった。特に印象的だったものを列挙していこうと思う。まずは安部公房の『けものたちは故郷を目指す』だ。終戦後の満州の荒野から、まだ見ぬ故郷日本を目指し、極限の飢餓や寒さと闘いながら旅をする少年の物語だ。この自粛生活の閉塞感と似た空気を感じたので、世界観に溶け込みやすかった。次に、アルザス人医師シュヴァイツェルの書いた『水と原生林のはざまで』だ。第一次世界大戦の時期に、アフリカのフランス領ガボンで現地人の治療に当たった医師の滞在記である。この時期のアフリカ世界というのは僕にはまったく馴染みのない世界だったので、とても面白かった。彼の「苦痛の烙印を押された兄弟団」に関する記述は、僕の心にじんと響いた。最後に、太宰治の『津軽』を挙げておく。この小説について詳しく語るとキリがないので控えておくが、近いうちに津軽、特に弘前は行ってみたいと思った。3月に駆け足で向かった東北旅行を、リベンジする形で弘前にいこうと思う。

新書もいくつか読んだけど、大東和重氏の『台湾の歴史と文化』は面白かった。著者の比較文学史的な研究に関する記述はもちろん、台湾の各都市に関する詳細な記述、先住民の歴史あたりはとても興味の持てる内容だった。海外渡航がまたできるようになったら、3週間くらいかけて台湾全土を回ってみたい。

 

すっかり長くなってしまったので、ここで前編として一度区切ろうと思う。後編では、音楽のこと、恋愛のこと、コロナ後のことについて書きたいと思う。

好きな音楽の話【RADWIMPS】【ハルカミライ】

この時間に課題をやる癖がついてしまった。午前4時~10時ごろの時間帯を活動時間にしてはいけないことに、僕自身はとっくの昔から気づいている。気づいているだけのこと、僕にはたくさんある。昨日見た夢の意味だとか、最近ハマっている黄色い菖蒲の花言葉だとか(花に対して「ハマっている」という表現は何かそぐわないような気がするけども)。

夜ご飯を食べてから日付が変わるまで眠って、それから明け方が来るまで映画を観たり、好きな音楽を聴いている。そりゃ課題もたまるわな。こんなブログを書いている間にも、課題は3つほど溜まっている。横浜駅前でのバイトから逃げ出し、4畳半の自室に引き籠って1か月半が経った。気候の良い時期には横浜駅から15キロほど歩いて帰っていた僕の脚はすっかり筋肉を失い、地面への圧力のかけ方を見失ってしまっているようだ。貯金も減らないし、収入も増えない。緊急事態宣言が解除された後、バイトに戻る気にもなれない。どうせ景気は悪いのだ。

 

そんな毎日ではあるけども、ここ数日、僕の好きな音楽界隈にいくつかの嬉しいニュースが入ってきた。RADWIMPSのメジャーデビュー以降の全作品サブスク解禁、Hump Backとハルカミライのアルバムリリース情報だ。ハルカミライが7月8日にリリースするフルアルバム『THE BAND STAR』の通常盤には、昨年12月に幕張メッセで開催されたワンマンライブ『A CRATER』をノーカット収録した円盤が同梱される。僕はライブ当日、幕張メッセのど真ん中でもみくちゃになりながら、『PEAK'D YELLOW』や『宇宙飛行士』、『それいけステアーズ』を聴いてめちゃくちゃに泣いてしまった。あの日が人生の最高点だったんじゃないかって今でも思う。あの日の帰り道に死んでもよかった。でも生きてるので今でも大好きだ。絶対買う。

Hump Backの新譜も絶対に欲しい。Hump Backの話はなんとなく今はやめておこう。とにかく、ロッキンが中止になり、一部では甲子園中止も囁かれる今年の夏に、二枚のアルバムが一矢報いてくれるような気分だ。

そしてRADWIMPSのサブスク解禁。僕は高校二年生くらいからRADを聴き始めたんだけど、『π』や『セツナレンサ』は入試当日の電車でもがっつり聴いたし、『ギミギミック』の歌詞は、僕のろくでもない青春時代に爆発的なインパクトを与えた。あの2分39秒の歌に込められた世界、メッセージは、僕に新しい哲学を与えてくれたと思う。大げさに過ぎるかもしれないけど。RADWIMPSの話はこのブログでいつか、もっとちゃんと書いてみたい。

サブスク解禁後、公式キャンペーンの『#僕の私のRADWIMPSど真ん中5曲』に参加してプレイリストを公開した。僕の青春時代、特に18歳の時の僕にとって、RADWIMPSは存在自体がど真ん中だったと思う。最近の曲、『大丈夫』『万歳千唱』『夢灯篭』『正解』も好きだし、『ララバイ』や『シザ―スタンド』、『シュプレヒコール』『億万笑者』も僕にとってはかけがえのない曲だ。

実際僕がRADWIMPSをちゃんと聴くようになったのは『君の名は』ブームのあたりだし、最初は受験期の気晴らし程度の存在だったけど、確かに僕はRADWIMPSが好きだ。それだけは事実だ。ちゃんとCDも揃えたい。課題やります。

 

 

 

「何も知らないやつは政治に口出すな」⇒???

就職説明会が中止になりましたwwwwwwwwwwwwwwww

 

というわけで、人生初の就活となる、6月30日の合同説明会が中止になりました。なんかもう自分たちの世代が就職氷河期へとまっすぐに進んでいく軌道がキラキラ輝いて見えるようで、笑えてきた。就職氷河期どころじゃない。就活自体が凍結していく。笑えるけど笑えん。

今日は初めてzoomを使ったゼミ講義があった。論文の執筆計画を発表したけど、2か月ぶりに人前で発表めいたことをしたのでめちゃくちゃ挙動不審になった。しんど。

酔った勢いで書いた政治系の記事、皆さん反応ありがとうございました。もうちょっと落ち着いてから言いたいことをまとめたほうが良かったような気がする。

結局検察庁法改正案に抗議する動きは、自粛期間で政権に対するフラストレーションが溜まりまくっていたこともあり、異例の伸び方だったみたい。同一アカウントの複数投稿もあったみたいだけど、芸能人も含めてかなりの方々が声を上げたのは事実。んでまあきゃりーぱみゅぱみゅさんみたいに叩かれちゃった人も多数。あの人は持ってきた画像がふざけてたから仕方ないね。

でもさ、「何にも知らんやつは政治に口出すな」みたいなこという人たちが一番無知じゃない???政治は誰のものだと思っているんだろう。ものすごくエリート選民意識を感じてしまう。僕はこれでもかなり大衆中心の政治とか、ポピュリズムに関してはかなり危機感を抱いているような人間なんだけど、だからこそ「バカは口を出すな」って大衆を冷笑するスタイルってなんの価値もないって思うんだよね。そんなの「あいつらエリートは政治を独占しようとしている」って言われた途端何の反論もできなくなっちゃうよ?

今回、かなりアーティストとか芸能人から抗議の声が上がったのが波紋を呼んでいるけど、普通に考えて当たり前じゃない?今回の自粛期間に一番ダメージ喰らってるのってこの人たちでしょ。悪いけど。結局「バカは口を出すな」って言われてしまうと、「言いたいことも言えないエリート中心の世の中かよ」って批判が妙に正しく見えてくる。実際僕もそう思う。この二つの正論がでっかい島国日本でぶつかりあった時、政治はどうなっちゃうんだろう。ものすごくこわい。

もう日本維新の会には投票しません

三日ぶりのブログ。タイトルの通り政治の話題なので、興味のない方はブラウザバック推奨。でも、僕たちの世代の政治にかかわる重要な問題だと思うので、一人の大学生として意見表明をしておく。

 

現在、衆院内閣委員会では検察庁法改正案の審議が行われている。この法案、かなりヤバイ内容だと思う。この反共の僕が「共産党がんばれ」って言いたくなるレベル。

大まかな概要は「せやろがいおじさん」がまとめてくれているので貼っておきます。主観バリバリだけど僕の言いたいことは言ってくれています。

一応NHKニュースも要点を纏めてくれているので、しっかり論点を確認したい方はこの記事がオススメです。まあ議事録とか改正案もネットで見れるのでしっかりファクトチェックしましょう。

何がやばいって、要するに検察の定年時期を、内閣の判断で延長できるようになるって話。司法の独立の危機。検察庁は一応行政機関なんだけど、首相を含む全ての国民を刑事告訴できる権利を持っているので、ある程度の独立性が求められている。実は1月末に、安倍内閣検察庁で政権に近いとされる黒川検事長の定年延長を閣議決定してて、この内閣による定年延長を具体的に法に定める、というのが今回の法改正。

んで、この法案審議に対して、維新以外の野党は森法相の出席による内閣委と法務委の連合審査を要求したけど、与党側は拒否。(!?)結果的に維新以外の野党は審議を拒否し、自民・公明両与党と日本維新の会だけが審議に参加した。さらに維新の浦野靖人議員は委員会で審議拒否した野党を批判し、「もう来なくていいと思う」と述べた。

いや、維新アホなん?ってのが正直な感想。維新はなぜ審議を継続するのだろう。質疑で積極的に野党を批判していて寒気。結局維新が賛成に回ることで、「野党もすべてが反対しているわけではない」というロジックが成り立ってしまう。自民党の補完勢力のくせに。

僕は2019年7月の参院選神奈川選挙区で、維新の候補者に投票した。18歳を過ぎて初めての選挙で、僕は日本維新の会に一票を託したわけだ。理由はいろいろあるけどまあ消去法です。与党に入れるつもりはないので。でも今回の維新の態度はあまりにも政権寄りで、中道右派野党としての存在意義すら感じられなくなった。次回の選挙では入れるつもりはもうない。次の投票先、見当もつきません。とりあえず与党以外。

今決められている様々な法律は、年寄りの政治家が考えているくせに、生活に直結するのは僕たち若者層だ。2040年、高齢世代の割合がピークに達する時代に、この国を担うのは僕たちの世代だ。今の政策や法改正は、僕たちの世代の政治に直結してしまう。それが怖いし、だからこそ目を背けたくない。

政治家は若い人がやるべきだと思う。政策は実行されてから、効果が分かるまで10年、20年っていう時間がかかる。年寄りの政治家は、政策に失敗しても、その頃には政界を引退してしまっている。若い政治家であれば、20年後であっても現役で活動しているから、政策の失敗は政治生命にも直結する。維新の橋下さんが若くして政治家を辞めたのはずるいなあって思うけど、実際彼はこのコロナ流行の中で、かつての政策がボコボコに叩かれていた。そういう責任が伴うという点でも、やっぱり政治家は若い世代が担当するべきだと思う。

 

僕は昔から政治的な意見をTwitterで話すことが多い。たまに煙たがられたりもするけど、でもやっぱり政治から目を背けるわけにはいかない。次回の選挙、覚えておけよって気持ちでしかないです。