誰よりも遠くへ

川の流れに逆らって

古本屋はやっぱり世の中に必要だよ!って話。

5月の日中はめちゃくちゃ暑い。つい先週くらいまで寒さすら感じた気候はすっかり夏の匂いを帯びている。母親が自宅環境の整備のために、オンライン授業開始前に整備した僕の部屋にはまだエアコンがない。僕はあまり扇風機のそばで眠ることができないので、寝ている間は窓を網戸のままにして開けている。極度の虫ぎらいではあるけど、やむをえまい。

この時期の朝の空気が苦手な人間なんていないと僕は思っている。そよ風が好きだ。窓際の寝床で朝の空気を感じながらくるまっていると、僕はどうしてもその美しい時間に夢中になってしまって、眠気を感じることができなくなる。

最近、中途半端な時間に目を覚ましては朝を待っている。今日はそのまま2限を受けて、昼ごはんを食べてそのまま眠った。課題は溜まっていくけれど、先週よりは楽だ。やはり先週の勉強への過剰な熱意はランナーズハイだったのだろう。結局この時間になっても僕は、ラグビーの再放送を眺めながら個人用に書いている小説のプロットを練っていた。最近、時計を見る習慣がほとんどない。

バイトのシフトにも電車の発車時刻にも気を留めない日々は、やっぱり気分がいい。どこにも行けない毎日が、「こんな生き方もあったんだ」って教えてくれているような気がする。前向きに考えよう。考えるしかない。

明け方に話を戻そうと思う。僕はまったく眠れなかったので、物置にあった母親の文庫本をいくつかめくって過ごした。中でも目を引いたのが、『パリのプチ・ホテル』(集英社文庫)という文庫サイズのガイドブックだ。25年前に、母親が新婚旅行に行った際に携えていたものだという。僕はこの本にすっかりハマってしまって、全部読み終わった頃にはとっくに朝を乗り越えていた。本当に美しいけれど、なんにもできないあの明け方の時間から、一冊の古い本によって救い出されたような気がした。

 

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『パリのプチ・ホテル』。1995年刊行

表紙は淡いピンクの「PARIS」という文字と、ピンク色の客室、そして紫色のタイトルと帯。玄関口から優雅な雰囲気が漂っていて、腐れ男子大学生の机上にはあまりにも似合わない雰囲気を漂わせている。内容自体はいたって普通のガイドブックで、パリの小さなホテルに焦点を当てて、カラー写真とともに紹介しているだけである。しかし、この時代のホテルの客室を写したカラー写真は、ほんとうにゆったりとしていて品がある。アンティークなインテリアで装飾されたパリのホテルの客室に、母親は泊まることが出来たのだろうか。この本に掲載されているホテルのうち、何軒がこのままの姿を留めているだろうか。

 

 

古本を読むのは昔から好きだ。古本は冊子としては色あせていても、内容には変わらぬ魅力があり、今の時代にはないリズム、文体、表現技法もあり、新鮮味すら感じる。この危機が収まって、本棚の整理の見通しが立ったら、また古い本を集めてみたいと思う。古本屋はやはり文化には絶対に必要な存在だと思う。だからこそ、この国から古本屋が消えるような事態は避けなければならない。がんばろう。

コロナ感染者より少ない読者に向けて

ブログをスタートしてから1週間が経過した。僕のブログのPVはだいたい一日あたり50人前後、連日の新規コロナ感染者数よりずっと少ないです。9月入学に関するパブリックな記事には2人の赤の他人からTwitterで反応がもらえました。1件目では「視野の広い大学生」、2件目では「残念な大学生」というコメントだったので不思議な気持ち。

ブログ自体にはまだコメントがついていない。まあランキングにも参加していないし、Twitter以外では全く告知もしていないので当然だけど。Twitterのフォロワーでブログやってる人をひとりしか知らないので、この自粛期間中にブログをやる人が増えたらいいなーとか思う。思うだけ。

身内はLINETwitterでコメントしてくれたり、「見てるよ」って言ってくれるので嬉しい。ブログを始めた理由なんて「寂しいから」でしかなかったので、僕の個人的な感情は本当に満たされている。これが本当の自己満足ブログってやつなのかもしれない。

結構「こういう記事書いてほしい」っていう反応が来る。身内だから見てくれてるんだろうけど、僕の文章に注文がついているみたいでとても嬉しい。高校時代は小説を書いていたので文章の執筆経験はあるんだけど、個人的なエッセイを書くのは初めてなので、本当に自信がなかった。正直このブログではなぜか全然ふざけていないので、なおさら読んでくれる人なんていないと思ってたよ。まだ記事の要望に答えたことはないけど、ぜひ書いてみたいと思う。でも大体僕の文章を読むやつなんてどこかおかしいので、要望の内容も「夢の話とかしたら面白くなりそう」「病み系男子が背景真っ黒でインスタに載せてそうなポエムを頑張ってなりきって書け」「ちゃんぽんの話を書いて」という有様。いつか書くよ、いつかね。

 

眠い。オチが思いつかない。最近また寝てもすぐ目が覚めてしまう。家の前がちょっと大きな寺なので、ベランダからずっと墓を眺めています。ブログ、読んでくれてありがとうございます。

 

緊急事態宣言延長について。

たった今、緊急事態宣言が全国一律で531日まで延期されることが速報で報じられた。うーん、仕方がない。専門家会議でも感染者減少のペースが緩やかだって話も出てたし。果たして現状の支援策で経済がもつのかどうか。マジで就活のことを考えたくない日々が続く。

 

バンキシャ』では政府の基本対策方針の原案についての報道があった。図書館、博物館を含む公共施設は、特定警戒区域内でも徐々に再開するとのこと。この情報の信憑性はまだなんともいえないけど、もし本当なら、図書館再開の兆しが見えてきたのは文系大学生としてはちょっとした希望。いや、ほんのちょっぴりな希望ではあるけど。ゼミ論のテーマを明日までに決めなくちゃいけないんだけど、やっぱり図書館がない、文献にアクセスしづらいとなると不安。送料ぐらいは払うので、郵送システムをしっかり導入してほしいなあ。でも郵送だって、配送の仕事は今パンク状態だって聞くし、やっぱり待つしかないと思う。……どんどん大学生活が削られていく感覚がする。

そしてやっぱり気になるのが教育。一昨日9月入学について記事を書いたらツイッターで「他人事ですよね」って批判リプ飛んできたけど、めちゃめちゃ当事者です。大学三年生ってブログのタイトルにも書いたんだけどな。僕としては教育の機会に大幅に格差が生じている現状は絶対に変えるべきだと思うんだけど、結構同世代の反対派は多い印象。難しいね。

 

今から話脱線するけど許して。そもそも今の教育システムってめちゃくちゃ不便じゃない?「海外と入学時期がズレてる」とかは留学経験がないので実感していないんだけど、まず「ストレートで進学し、現役で合格し、新卒で入社しなきゃいけない」っていうシステム自体、ものすごく制約が多いと思う。しかも一度路線から外れたらやり直しが難しい。「コロナで大変だから今年一年くらい学校休みたいな」っていう選択肢が存在しないのってめちゃくちゃ不便だと思う。僕の中にも、休学は現実的な選択肢としてはどうしても出てこない。すっごく不便。

「まあ、この国の政治に教育制度変革を求めるのは無理か……」って諦めなきゃいけない現状がしんどい。同性婚だってさ、合法化しない理由って「憲法で結婚は両性、つまり男女の合意に基づくもんだから」なのヤバいって思う。国が同性カップルの婚姻を認めない理由が「だってルールに書いてあったんだもん」って言い訳してるのすごいなって思うし。70年前に作った憲法が同性愛者の存在に配慮してないのはわかるよ。先人を現代の価値観でディスりたいわけではない。でも明らかに今の人権感覚と合ってないじゃん。アップデートすればいいだけの話じゃん。パズドラだってアップデートぐらいするのに。でもやらない。やらなかったのが今の政治で、そんな政治を変えられなかったのが僕たち。それってめちゃくちゃ悔しいと思う。

 

めちゃくちゃ話がズレたけど、緊急事態宣言あと1ヶ月、頑張ろう。先のことはしばらく考えないようにします。

 

 

9月入学について。

政府が本格的に『9月入学』を検討しているというニュースが入ってきた。ここ数日、かなり全国紙でも9月入学に関する記事は目立っていたし、政府も選択肢の一つとして検討しているみたい。

先に行っておきますが、僕は9月入学に大賛成。何なら一年伸ばしてほしい。あと大学無償化してほしい。2億円くらいほしい。

僕の大学では4月の下旬からオンライン授業が行われていて、教授も学生も大学側も試行錯誤しながら、なんとか授業は受けられるようになっている。元々一方通行型の講義が多い学部だから、普段の授業とあまり質は変わらないと思う。好きな時間に受けられるし、電車に乗って大学に行く必要もないし、はっきり言って普段より楽。

 

だとしても。僕は今年度を半年、または一年延期するべきだと考えている。

 

確かに僕自身はオンライン授業に対応できている。でもそれは、僕には個人用の優秀なパソコンがあって、オンライン授業に協力してくれる母親がいて(オンライン授業準備のために、今までなかった僕の部屋をベッドを買って作ってくれた、ありがとう)、講義について話せる友達がいて、感染リスクの高いバイトをする必要がないからだ。それに、大学はそれなりにオンライン授業に対応できている。サークル活動も特にしていないし、教材を通販で購入する金銭的余裕もある。あくまで、僕がたまたま環境に恵まれていたから、僕は困っていないだけだ。 

高校生はどうだろう。僕はある、9月入学反対派の高校生のツイートに衝撃を覚え、つい反応してしまった。

 

彼は私立高校に通っている受験生で、9月入学に変える必要はないと主張している。高校生でこれだけ自分の主張を簡潔にまとめることができる事自体はすごいと思う。でも僕は、どうしても彼のこの発言が引っかかってしまった。

 

「学校毎の授業内容の差は元々存在します。勉強してる人はどんな環境でも勉強しています。なぜこの期間勉強しなかった人に合わせて全員が留年しないといけないんでしょうか?」

 

 

この期間、勉強しなかったやつははたして自己責任なのだろうか?僕は思わず引用リプをしてしまった。迷惑ならブロックしてくれ。

 

(僕含め)自宅でオンラインで勉強ができる人間は、間違いなく恵まれている。少なくとも塾や大学には問題なく通えているし、オンラインで授業が受けられるデバイスを所有しているし、勉強できる机があって、環境があって、時間がある。でも世の中には、オンラインで授業が行われていない高校もある。塾や予備校に通えない受験生も大勢いる。感染リスクのあるバイトをして家計を支えなきゃいけない高校生だって、全国にはいくらでもいるだろう。彼らの中には勉強ができるやつもいて、環境をもろともせずに受験戦争を勝ち抜くやつもいるだろう。でもそれはほんの一握りで、多くの受験生は環境に振り回される。恐ろしいほどに振り回されてしまう。

だからこそ、僕たちは、恵まれている学生である僕たちは、自分の運の強さを自覚しなくちゃいけないと思う。間違っても、今回の教育危機でひどい目に遭ってる同世代の高校生に対して自己責任を振りかざしてはいけないと思う。僕たちは真の平等をめざすことはやっぱり出来ないけど、チャンスを平等にすることはできると思うし、僕は政治に「教育機会の平等」を死ぬまで求め続けたい。

 

「なぜこの時期に勉強しなかったやつに合わせなくちゃいけないのか。」彼が自分なりの答えを見つけられることを、僕は願う。

 

一方で、こうやって「教育の権利」について考え始めている高校生もいる。きっとこの暗い時代が終わったら、明るい僕たちの時代がやってくることを信じたい。

 

おすすめの曲です。


Have a Nice Day!(ハバナイ!)- 僕らの時代【MV Edit Version】

5分で書いた日記&ライブハウス応援グッズ買います!

 

 

ああやばい今日ブログ忘れてた。別に毎日書くとか決めたわけじゃないんだけど。

 

横浜・石川町のライブハウス,横浜FADの応援Tシャツを注文しました。あとTHE NINTH APOLLO(スペルわかんなくて調べた)の『Born From Live House V.A』という、こちらもライブハウス応援のために集ったアーティストによる、オムニバスCDも購入しました。僕たちの20代には、やっぱり元気なライブハウスが必要だと思うんだよね。応援してます!俺たち強く生きていかなきゃね!

どうぶつの森の住民厳選するやつ全員ブロックします(悪口注意)

どうぶつの森の住民厳選しているひとをツイッターで見かけてしまって、フォロワーだったけどブロックした。正直、いじめ動画を見ているレベルで胸糞悪い。そりゃたかがゲームだけどさ。僕だってゲームで人を撃ったりしたことはあるけどさ。穏やかな村でほのぼのライフを送るためのゲームで、見た目のかわいい住民だけを厳選して、気に入らない住民を追い出すことにわざわざ労力をかける人間を、僕の狭い器量ではどうしても許容できない。幼稚すぎるでしょ。勝手に住宅ローンを押し付けてくるたぬきちを「金の亡者」ってディスったりするのは全然いいよ。公式も旧作で認めてるし。でもどうぶつの森の住民って、中身自体はいくつかのパターンに分類されているだけで、大差ないわけ。皆プレイヤーに友好的で、のんびり暮らしてるだけ。いじめてる奴らって外見しか見てないんだよね。外見でいじめたりするのってまず何よりも製作者に失礼じゃない?僕は人をなるべく見た目で判断しないように努めているけど、中身はめっちゃ見るから、どうぶつの森の住民たちを見た目で判断するようなやつらってマジで許容できない。僕の人間関係にいらないなって思うから、交友関係から追放しちゃう。人を外見で判断して安易に行動しちゃうやつって、中身で判断されて追い出されてしまえばいいって思う。Twitterでちょっと調べれば住民を追い出す方法!とか住民厳選に関する情報はいくらでも出てくる。でも結構見た感じめんどくさいんだよね。外見の悪い住民を追い出すために、わざわざ時間を費やす人間とは関わりたくない。「旧作で仲良かったあの子に会いたい!」って理由で住民厳選するならまだ許容できる。でも「このゴリラきもすぎるから早く出ていけ」とか、そういう遊び方義務教育までに卒業できなかったん?お前がその年齢を迎えるまでに、そうやって何人の同級生を外見で判断して苦しめたの?とか思っちゃう。

 

隣人が23時くらいまでベランダでオンライン飲み会しててうるさくてイライラしたからめっちゃ口悪くなっちゃった。反省します。これが今日の僕の気分でした。

 

こういう記事に好きな曲を載せるのは失礼だと思うから今日は載せません。

現代京都理論【水曜8限】

オンライン授業1週間目を迎えた。今日はふと大学受験の話を書こうと思ったけど、800文字ほど書いて全部消した。今日は京都の話をします。最近、息抜きに京アニの『けいおん!』のアニメを観ている。僕はこのアニメ、実はあんまり好きになれない。なんでだろうな。のほほんとした部活もののアニメに見えるけど、あんまり部活の内輪でニコニコしてる雰囲気がそもそも性に合わないのかもしれない。同じ京アニでも、僕は『響け!ユーフォニアム』の方はアニメの中でも5本の指に入るくらい好きなので、僕はアニメにわりとギスギスを求めているのかもしれない。

 

そういえば、最近京都に全然行ってない気がする。僕は北の比叡山から南の宇治まで、京都はとっても好きな街なので、本当は3月に行く予定だった。今度はいつ行けるんだろうね。

観光自粛ムードの中で、「京都から外国人観光客が消えた、本来の京都の姿が戻った」みたいなツイートを3月ごろよく見かけた。あの頃はまだ国内観光は集客アピールしていた時期だったし、僕も3月の前半に東北の方に少し出かけていた。「本来の京都の姿」を求めて、京都に向かう日本人観光客も多かったみたい。

でも僕は、外国人観光客のいない京都、「よそ者のいない京都」なんてちっとも本来の姿ではないと思うんだよね。古めかしい話をすると、京都は都である以前に、日本の経済、交通、文化の中心地だったはずだと思う。戦国の世では全国各地の武将たちが京都を目指して戦ったし、幕末の動乱期には多くの志士が京都に集い、最終的には御所に大砲をぶちこんでうっかり街を焼いた。遠い昔から京都は、魑魅魍魎がゆらめく愉快な街だったはずだ。全国から「よそ者」が自由に集うからこそ、京都人はあの悪名と誇り高き排他主義を身につけたのではなかったか。よそ者が国境を超えてやってきたところで、京都の長い歴史の中では、大した問題ではなかったはずだ。やっぱり、「よそ者」のいない京都なんて、ぜんぜん京都ではない。はやくすべてが良くなって、四条通辺りで「ここ本当に日本なのw」なんて会話をのんきにしてみたい。そういえば、バンコクのワット・アルンという有名な寺院に行ったときは、逆に日本語しか聞こえなかったような。

 

おすすめの曲です。暖かい都会から見下す気分はどうだい!


teto - 暖かい都会から(MV)