誰よりも遠くへ

川の流れに逆らって

現代京都理論【水曜8限】

オンライン授業1週間目を迎えた。今日はふと大学受験の話を書こうと思ったけど、800文字ほど書いて全部消した。今日は京都の話をします。最近、息抜きに京アニの『けいおん!』のアニメを観ている。僕はこのアニメ、実はあんまり好きになれない。なんでだろうな。のほほんとした部活もののアニメに見えるけど、あんまり部活の内輪でニコニコしてる雰囲気がそもそも性に合わないのかもしれない。同じ京アニでも、僕は『響け!ユーフォニアム』の方はアニメの中でも5本の指に入るくらい好きなので、僕はアニメにわりとギスギスを求めているのかもしれない。

 

そういえば、最近京都に全然行ってない気がする。僕は北の比叡山から南の宇治まで、京都はとっても好きな街なので、本当は3月に行く予定だった。今度はいつ行けるんだろうね。

観光自粛ムードの中で、「京都から外国人観光客が消えた、本来の京都の姿が戻った」みたいなツイートを3月ごろよく見かけた。あの頃はまだ国内観光は集客アピールしていた時期だったし、僕も3月の前半に東北の方に少し出かけていた。「本来の京都の姿」を求めて、京都に向かう日本人観光客も多かったみたい。

でも僕は、外国人観光客のいない京都、「よそ者のいない京都」なんてちっとも本来の姿ではないと思うんだよね。古めかしい話をすると、京都は都である以前に、日本の経済、交通、文化の中心地だったはずだと思う。戦国の世では全国各地の武将たちが京都を目指して戦ったし、幕末の動乱期には多くの志士が京都に集い、最終的には御所に大砲をぶちこんでうっかり街を焼いた。遠い昔から京都は、魑魅魍魎がゆらめく愉快な街だったはずだ。全国から「よそ者」が自由に集うからこそ、京都人はあの悪名と誇り高き排他主義を身につけたのではなかったか。よそ者が国境を超えてやってきたところで、京都の長い歴史の中では、大した問題ではなかったはずだ。やっぱり、「よそ者」のいない京都なんて、ぜんぜん京都ではない。はやくすべてが良くなって、四条通辺りで「ここ本当に日本なのw」なんて会話をのんきにしてみたい。そういえば、バンコクのワット・アルンという有名な寺院に行ったときは、逆に日本語しか聞こえなかったような。

 

おすすめの曲です。暖かい都会から見下す気分はどうだい!


teto - 暖かい都会から(MV)